2019年11月29日16時47分
戦後政治の総決算を掲げ、日米関係の強化や行政改革で実績を残した中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が29日午前、死去した。101歳だった。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長男弘文(ひろふみ)氏。後日お別れの会を開く予定。
中曽根氏は1918年5月、群馬県高崎市生まれ。41年、東京帝国大学法学部卒業後、旧内務省に入り、海軍士官を経て47年4月、衆院旧群馬3区で初当選。以来、比例北関東ブロックも含め連続20回当選した。
国民民主党、改進党、日本民主党などを経て、55年の保守合同による自民党結党に参加。59年、岸内閣の科学技術庁長官として初入閣し、その後、運輸相、防衛庁長官、通産相、自民党幹事長、行政管理庁長官などを歴任し、82年11月、第11代自民党総裁となり、第71代首相に指名された。
鈴木内閣の行管庁長官として第2次臨時行政調査会(土光敏夫会長)発足に尽力。首相就任後も鈴木内閣の行革路線を引き継ぎ、国鉄の分割・民営化や電電公社(現NTT)、専売公社(現日本たばこ産業=JT)の民営化を成し遂げた。
外交・安全保障面では、日米関係を「運命共同体」と位置付け、レーガン米大統領(当時)と「ロン・ヤス」と呼び合う親密な関係を構築。防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠を突破する予算を編成するなど米国との連携強化を明確にした。また、戦後の首相として初めて、靖国神社を公式参拝した。
安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一3氏が「ニューリーダー」として党総裁の座を争う中、竹下氏を後継指名した。首相在任は5年に及び、安倍、佐藤、吉田、小泉内閣に続いて戦後5位の長期政権だった。
首相退任後に未公開株の政財界への譲渡が問題となったリクルート事件が発覚、自身も証人喚問を受け、自民党を一時離党した。
小派閥の中曽根派を率い、政局の節目でしばしば政治行動を豹変(ひょうへん)させたことから、政界の「風見鶏」ともやゆされた。97年には大勲位菊花大綬章を受章。自民党の比例代表単独候補への定年制適用により小泉純一郎首相(当時)から引退を勧告され、2003年の衆院選への出馬を断念、国会議員を引退した。
その後も、講演などで憲法や教育問題に関し積極的な発言を続けた。17年5月には著書「国民憲法制定への道」を出版。安倍晋三首相が掲げた憲法9条改正について、自衛隊を「自衛軍」として2項に明記すべきだと訴えた。同月の99歳の白寿を祝う会では「(改憲は)わが人生の願いだ」となお意欲を見せていた。
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2019-11-29 07:47:00Z
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