王監督の言葉を「真に受けた」
福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長が5月20日に誕生日を迎えて80歳となった。
この前日に球団設定のオンライン取材に応じた工藤公康監督は、自身が王監督の下でプレーをしていた現役時代の思い出について「記憶に残るエピソードはたくさんある」と思いを巡らせた中で、あるシーズンの監督室での出来事について明かしてくれた。
「王監督は、『監督室はいつでも開けている。悩んだり、相談があればいつでも来ていいぞ』と言ってくれていた」
福岡ダイエー時代だ。チームのエースだった工藤投手は、ある後輩投手が「今はリリーフだけど、本当は先発がやりたい」と悩んでいるのを知っていた。
「僕は監督の言葉を真に受けてというか、その彼に『行けばいいじゃないか』と言ったんです。だけど遠慮して。だから僕が連れて行ったんです」
一緒に監督室の扉をくぐり、思いを打ち明ける様子を隣で見守っていた。すると王監督は「じゃあ、3回(3試合)先発としてチャンスをあげよう。1回でもよければローテに入れてあげるよ」と即答したという。
選手のために即答「すごい」
工藤投手は驚いた。このような時、多くの場合は「コーチと相談してみる」といった返答になりがちだが、王監督は選手の思いにすぐに応えてくれたのだ。その決断力、そして器の大きさに「僕はすごいと思ったし、感動しました」と振り返った。
そして時を経て、現在はホークスを率いている工藤監督もやはり、選手たちとのコミュニケーションをとても大切に考えている。「王監督はホークスが強くなるきっかけを与えてくれたし、野球にとって何が大切なのかを教えてもらえた」と語っており、目指す監督像の中に王イズムはしっかりと息づいている。
工藤投手に連れられた投手とは?
ちなみに、この時の「後輩」投手。
「結局、結果を出せなくてリリーフのままだった。でも、その選手は40歳までリリーフとして現役を続けたんです」
工藤監督は「僕と同じ左投手です」とだけ話して具体名を明かさなかったが、その左腕は吉田修司投手だったのではないかと推測される。
吉田は1988年ドラフト1位で巨人へ入団。1994年のシーズン途中に岸川勝也とのトレードでダイエーに移籍した。
1995年、吉田はシーズン終盤に2試合に先発している。ただ、それ以降のシーズンで先発をしたことは一度もない。吉田といえば鉄腕リリーバーだった。1998年から5年連続で60試合以上に登板。プロ実働16年間で533試合もマウンドに上がった。2007年、40歳の時にオリックスで現役引退している。
当時の記録を調べると、先発機会は3度より少なく、しかも結果は……しっかり残していた。
最初の先発は1995年9月19日の近鉄戦(福岡ドーム)。初回こそ4番の鈴木貴久に適時打を許して1失点したが、それ以降はゼロを並べた。7回1/3を110球で投げきり、7安打を浴びながら初回の失点だけにまとめて勝利投手になっているのだ。
ただ、その翌週26日に藤井寺球場に場所を移しての同カードは3回5安打2失点で降板。二、三回と失点したが、零封だった初回も2番の内匠政博に二塁打を浴び、さらに暴投や四球でピンチを作っていた。先発でマウンドに上がると、どうにも立ち上がりが不安定だった。これが悪印象となり、「先発・吉田修司」は幻となってしまったのかもしれない。
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May 20, 2020 at 05:00AM
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