兵庫県尼崎市で2005年4月に発生したJR福知山線脱線事故で長女容子さん(当時21歳)を亡くした奥村恒夫さん(73)=兵庫県三田市=は、最愛の娘を失った喪失感から何度も死を意識した。酒に溺れ、自暴自棄に陥った頃もあったが、15年半の歳月を経た今はおだやかな時間が流れる。どのように乗り越えてきたのだろうか。コロナ禍で苦しむ人たちへのアドバイスを聞いた。【生野由佳/統合デジタル取材センター】
娘の亡きがらを前に「私の人生は終わった」
――15年半前のあの日、容子さんを失いました。事故当時をどのように記憶していますか。
◆昨日のことのように覚えています。容子は京都女子大文学部4年生で、古代エジプトに興味があり、博物館学芸員か図書館司書になるのが夢でした。あの日の授業は午後からだったのですが、博物館実習の登録のため、早めに家を出ました。ゆっくり出かければ事故に遭わなかったのになあ。普通は父親を毛嫌いする年ごろなんですが、不思議なぐらい仲が良かったんです。あの日も学校帰りに大阪で一緒に串揚げを食べよう、とデートの約束をしていました。
その夜に変わり果てた娘と対面することになるとは夢にも思いませんでした。現実が受け入れられず、容子の長いまつげが動かないだろうか、じっと見ていましたが横たわったまま動きません。今朝まで元気だったんですよ。本当に生き地獄で、「私の人生はここで終わった」と心の底から思いました。
JR西日本との長い闘いの中で、死を意識するように
――事故の原因究明を求めてJR西日本と対峙(たいじ)する日々。どのようなことを考えたのでしょうか。
◆残りの人生で事故原因を究明しようと、その一念で活動してきました。私は土木技術者です。その知識を生かそうと、鉄道関係の専門書を何冊も読みました。「娘を殺したJR西に敵討ちする」と決心し、仕事は辞めました。
JR西の被害者説明会に出席し、航空・鉄道事故調査委員会の意見聴取会(07年)は東京まで傍聴に行き、業務上過失致死傷罪に問われたJR西の歴代社長の裁判も傍聴しました。事故翌日の4月26日から、日記を書いていました。最初は娘の生きた証しを残そうと始めたのですが、いつのまにかつらい思いを吐き出すようになっていた。…
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November 27, 2020 at 12:00PM
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